Tag Archives: russia

Иван Дорн : Ivan Dorn

385885_308452585844314_1010176164_n

Ivan Dorn

ウクライナを代表するポップシンガー。TV出演も多いので、ロシアとその周辺諸国での知名度は高い。同じウクライナのElkaやBoomboxと同じように、ロシアのラッパーとのコラボレーションにも積極的で、それ故にラップファンにとっても身近な存在。自身もラップを読む。

1988年10月17日ロシアのチェリャビンスクで生まれ、2歳の時にウクライナのスラブチッチに移住。スラブチッチはチェルノブイリ原子力発電所の事故避難民のために建設された都市で、そこに越したのは、Ivanの父がチェルノブイリ原子力発電所に関わる仕事に就いたためだった。子供の頃はスポーツに打ち込み、同時に演劇にも興味を持っていた。大学でも演劇を専攻。2006年にJamiroquaiのコンサートで出会ったAnnaАнна Добрыднева(Anna Dobrydneva)と、ユニットПара Нормальных(Para Normalnyh)を結成。2010年に脱退し、ソロキャリアが始まりロシアやウクライナで多くの音楽賞を受賞。2013年には、Assaiとのコラボレーションが話題を集めた。

Нигатив : Nigativ

6be7c6740cd7

Nigativ

ユニットТриада (Triada)のメンバー。インパクトのある強面に、高い声が特徴的。

本名はヴラジミール・アファナシエフ。1981年12月4日生まれ。ロシア南部の街クラスノダール出身。14歳頃からラップを聴き始め、間も無く自身でも書き始める。その後ギターやアコーディオン、トランペットなどを習うが、そこまで上達はしなかったようである。1999年にはДино(Jino)(1000 словのジーノとは別人)とTriadaを結成。二人が強く影響を受けたのは、2Pac、 Wu-Tang Clan、Nas、Eminem、Dr. Dre、Public Enemyなど。2006年にソロデビュー以降、 Triadaの活動と並行してソロでも活躍し、2017年現在までに6作もアルバムを発表している。Triada名義の作品と合わせると何と15作である。相棒のJinoも2016年にようやくソロデビューしている。若い頃から古典文学を好み、ロシアを代表する作家プーシキンやエセーニン、チェーホフなどを良く読んでおり、2010年にはミステリー小説を執筆し出版もしている。

L’One

2U_Gnqq4v3oL’One

2012年にTimati主催のBlack Star Inc.に加入してから、レーベルにとって欠かせない存在になっている、ジョージア系ロシア人のラッパー。自身の洋服ブランドCosmokotも展開させている。

1985年10月9日クラスノヤルスクに生まれ、幼児期にヤクーツクに移住する。本名デレビャンコ・レバン・エムザローヴィチ。10代の頃からの親友Nelとモスクワに赴き、Marselleを結成し音楽活動をスタート。2007年にレーベルPhlatilineに入る。TVの対戦型音楽番組に出演するなどして知名度を上げ、2008年発表の「Москва(Moscow)」が大ヒット。この曲は、モスクワを舞台にしたアメリカ映画「The Darkest Hour(2011)」にも使用された。2012年にはMarselle一時活動休止。ソロとしてのキャリアが始まり、現在に至る。Nelとの関係性も悪くはなく、共演することもある。 DJ Phill,OneとのプロジェクトWDKTZや、レーベル仲間とのユニットBlack Star Mafiaなどその活動は多岐にわたる。

Гига : Giga

KLzil3ZKfRc

Giga

ウクライナの首都キエフ出身。1982年生まれ。本名はナザーリィ・ゲラシムチュク。発音的にも綺麗にロシア語でラップを読む、どちらかというとモスクワの風潮に沿っているラッパー。ハスキーボイスにメロディアスなラップが魅力。NasやSnoop Doggなどアメリカのラッパーからの影響は大きいようだ。初期はНестабильный пульс(Nestaviriny Puris)と言うユニットで活動。ソロとして活動が目立ってきたのは2007年以降。特に注目を集めたのは2011年に発表した「Мега(Mega)」。BastaやKaradashとのコラボレーションなどが収録されている。同郷のLionのアルバムにも参加しているが、Lionよりも器用にロシアのヒップホップ界に馴染んでいる印象がある。最近ではウクライナの若いラッパーのYarmakとも共演している。5枚目のアルバム「Соматика(Somatika)」の中からは「Спутники(Sputnik)」がヒットした。Gigaの魅力を知るには程よい曲かもしれない。

Oxxxymiron

23.jpgOxxxymiron

現在のロシアのラップシーンの中でもっとも孤立した存在。(アメリカのヒップホップ史に則って)度々他のロシアのラッパー達と争いを引き起こしてもいるが、KastaやCENTRのPtahaとのコンフリクトが最も有名である。デビュー以来、作品発表の勢いは衰えていない。彼のスタイルは、日本や東アジアのラップを好む人には、受け入れやすいかもしれない。英国のオックスフォード大学出身という経歴が、そんな彼の立ち位置を面白く演出している。

1985年1月31日サンクトペテルブルクのユダヤ系の家庭に生まれる。本名ミロン・ヤノヴィッチ・フョードロフ。9歳の時に家族とともにドイツのエッセンに移住。そのドイツ在住中の13歳の頃にすでにラップに目覚め、ロシア語とドイツ語でラップ読んでいた。15歳の時に英国に引っ越し、2004年にオックスフォード大学に入学。オックスフォードのロシアン・コミュニティーの中では目立った存在だったようである。専攻は英語と文学。在学中の2006年に躁鬱病と診断され、一時休学するが回復し学校に戻り、2008年に卒業した。その後ロンドンのイーストエンドに引っ越し、本格的に音楽活動を開始。Oxxxymiron(オキシミロン)という名前を名乗りだしたのもこの頃である。最初に発表した曲は「Лондон против всех (London againsts everybody)」。同年にドイツのレーベルOptik Russiaに加入。2009年にはバトル番組に参加し、セミファイナリストとなるり、ネット投票では何部門もの賞を受賞する。

2010年、レーベル仲間のSchokkとともにOptik Russiaを離れ、二人でロシア周辺諸国をツアーして回る。その後SchokkとマネージャーのIvan Karoyと一緒に新しいレーベルVagabundを設立。Oxxxymironは一作目のアルバムを発表し、そこそこの好評を得る。2011年11月、仲間との言い争いののちにレーベルを離れる。2015年には大人気の対戦型番組Versus Battleに出演。最初の対戦相手は意外にもラトビア出身のラッパーJohnyBoy。その後、STやCrip-a-cripなどと対戦し、すべてに勝利している。現在はサンクトペテルブルグとロンドンを行き来する生活を送っている。