Oxxxymiron

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現在のロシアのラップシーンの中でもっとも孤立した存在。(アメリカのヒップホップ史に則って)度々他のロシアのラッパー達と争いを引き起こしてもいるが、KastaやCENTRのPtahaとのコンフリクトが最も有名である。デビュー以来、作品発表の勢いは衰えていない。彼のスタイルは、日本や東アジアのラップを好む人には、受け入れやすいかもしれない。英国のオックスフォード大学出身という経歴が、そんな彼の立ち位置を面白く演出している。

1985年1月31日サンクトペテルブルクのユダヤ系の家庭に生まれる。本名ミロン・ヤノヴィッチ・フョードロフ。9歳の時に家族とともにドイツのエッセンに移住。そのドイツ在住中の13歳の頃にすでにラップに目覚め、ロシア語とドイツ語でラップ読んでいた。15歳の時に英国に引っ越し、2004年にオックスフォード大学に入学。オックスフォードのロシアン・コミュニティーの中では目立った存在だったようである。専攻は英語と文学。在学中の2006年に躁鬱病と診断され、一時休学するが回復し学校に戻り、2008年に卒業した。その後ロンドンのイーストエンドに引っ越し、本格的に音楽活動を開始。Oxxxymiron(オキシミロン)という名前を名乗りだしたのもこの頃である。最初に発表した曲は「Лондон против всех (London againsts everybody)」。同年にドイツのレーベルOptik Russiaに加入。2009年にはバトル番組に参加し、セミファイナリストとなるり、ネット投票では何部門もの賞を受賞する。

2010年、レーベル仲間のSchokkとともにOptik Russiaを離れ、二人でロシア周辺諸国をツアーして回る。その後SchokkとマネージャーのIvan Karoyと一緒に新しいレーベルVagabundを設立。Oxxxymironは一作目のアルバムを発表し、そこそこの好評を得る。2011年11月、仲間との言い争いののちにレーベルを離れる。2015年には大人気の対戦型番組Versus Battleに出演。最初の対戦相手は意外にもラトビア出身のラッパーJohnyBoy。その後、STやCrip-a-cripなどと対戦し、すべてに勝利している。現在はサンクトペテルブルグとロンドンを行き来する生活を送っている。

 

 

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